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聖書のクリスチャンになりましょう。体系のクリスチャンではなく!

リチャード・ブラッシュ · 2020年11月2日 · 約2分で読めます

組織神学は、あまり評判がよくありません。私の知るクリスチャンの中には、役に立たないラベルのついた箱にものを仕分けする作業のように聞こえ、しかもたいていは、四角い杭を丸い穴に押し込もうとするようなものに思える、という人がいます。

偉大な先人たちの一部も、状況を良くしてくれてはいません。組織神学が自分には役に立たないと思っているクリスチャンに向けた本を書いた、と友人に話したところ、彼はケンブリッジのチャールズ・シメオン(1759–1836年)の次の言葉を教えてくれました。

「神は、ご自身の真理を体系として啓示されたのではありません。聖書にはそもそも体系というものがありません。体系を脇に置いて、聖書のもとへ飛んで行きなさい。どんな体系にも目を向けず、素直に従う心で聖書のことばを受け入れなさい。体系のクリスチャンではなく、聖書のクリスチャンになりなさい。」

シメオンは当時、もっとも影響力のある福音派の一人であり、聖書の解き明かしの説教への献身という遺産を、今日まで残しました。私たちはシメオンに多くを感謝すべきです。

けれども、この件については、彼は正しいのでしょうか。

拙著『自分を知り、神を知る』の根底にある考えの一つは、私たちは体系を避けることができない、ということです。人間は体系的に考えるように造られています。誰もが体系を持っています。問題は「体系が必要か」ではなく、「自分の体系は適切か」なのです。

実は、神が私たちに啓示されたことについて体系的に考えることは、私たちが聖書を解釈できる(そして解釈すべき)二つの主要な方法の一つです。この本では、その二つを「クロノ・ロジック(時系列の論理)」と「セオ・ロジック(神を軸とする論理)」と呼びました。神学者のヴァーン・ポイスレスは、2019年の論文で、これととてもよく似たことを語っているようです。彼はそれを「動的なもの」と「安定的なもの」と呼んでいます。ポイスレスが言うように、「どちらも、他方なしには考えられません」。

名前はさほど重要ではありません。ごく簡単に言えば、一方は聖書の「物語」を表し、これは「聖書神学」と呼ばれることもあります。もう一方は、聖書の「世界観」と、聖書の「登場人物」同士の関係を表し、これこそが組織神学の主な対象である、と私は考えています。

ポイスレスが展開しているこの二つの側面のうち、『自分を知り、神を知る』では触れなかった点があります。それは、その両方が神ご自身に根ざしており、しかも同等の優先順位で根ざしている、ということです。ポイスレスは言います。「神は、安定的であると同時に、動的でもある。」ですから、書かれた神のことばに対する、二重の(そして互いを強め合う)アプローチこそが、聖書を理解するうえでもっとも実り豊かな方法であると、私たちは「期待すべき」なのです。

これは実際にはどういうことでしょうか。ポイスレスによれば、聖書を読み、学び、適用し、教えるとき、私たちは(物語による)「見せること」と、(物語の登場人物についての描写や主張による)「語ること」の両方を取り入れています。

後者が、私の言う「体系」です。そして肝心なのは、それが「物語」に比べて、決して「聖書的」でなくはない、ということです。

シメオンは、誤った二者択一を立てています。

私は、ある種の体系のクリスチャンです。それは、私が聖書のクリスチャンだからです。

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