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トールキンの知恵

リチャード・ブラッシュ · 2021年4月29日 · 約5分で読めます

J・R・R・トールキンの三部作『指輪物語』を、二度目に読み終えようとしています。この壮大なファンタジー文学を最初に読んだのは、12歳のころでした。そのときは「物語」を楽しみつつも、登場人物がすぐに歌い出したり、昔の伝説を思い出して語りに熱がこもったりするのに、いらいらしたのを覚えています。

今回は、文学作品としてのトールキンの作品を、はるかに味わうことができました。そして、ところどころで立ち止まっては、何度も読み返す「名文」に出会いました。トールキンが胸に迫る調べを奏でている箇所や、登場人物の口を通して、噛みしめるほどに味わい深い警句を語らせている箇所です。お気に入りをこの記事に集め、私なりの感想や気づきを添えました。楽しんでいただければ幸いです。

(引用は、私自身が英語の原文から訳したものです。)

「裂け谷には、よく行かれるのですか」とフロドは尋ねた。「ええ」とストライダーは答えた。「かつてそこに住んでいました。今も、行けるときには戻ります。わたしの心はそこにあります。けれど、エルロンドの美しい館でさえ、安らかに座っていることは、わたしの定めではないのです。」

ストライダー(またの名をアラゴルン)のこの物憂げで切なる言葉は、私の故郷を思い出させました。心はそこにあるのに、そこで安らかに座っていることは、私の定めではない。クリスチャンの私には、アラゴルンの言葉が、天の故郷をさらに痛切に指しているように思われます。

「世の車輪を動かす行いとは、たいていこういうものだ。小さな手が、そうせねばならないからそれを行い、そのあいだ、偉大な者たちの目は、ほかのところを見ている。」

ほかならぬエルロンド自身が、その古い知恵を「世の車輪」に当てはめています。たしかに、「偉大な者たちの目」は、本当の原動力がどこにあるのかに気づかないほど、気を取られていることがよくあります。小さな手の行いが、気づかれずに終わることのありませんように。

これほどよい土地のことは、聞いたことがありません。まるで、我が家にいながら、同時に休暇を過ごしているようです。おわかりいただけるでしょうか。

サム・ギャムジーは、私たちが誰しも瓶に詰めて売りたい、いや、独り占めしておきたいと思う、あの感覚を、見事に言い表しています。

「だが、遠い昔から伝わる言い伝えを、軽んじてはならぬ。年老いた女たちが、かつては賢者にも知る必要があった事柄の言葉を、覚えていることがよくあるのだから。」

よくぞ言ってくれました、セレボルン。私の母でも、これ以上うまくは言えなかったでしょう!

「だが、すべての望みを捨ててはならぬ。明日のことは、わからないのだ。よい知恵は、たいてい日の昇るときに見つかる。」

エルフのレゴラスの洞察です。ほんとうに、物事は朝になると、よく見えてくるものです。

「始めたほうがよい事柄もある。たとえ、その終わりが暗いとしても、拒むよりは。」

またもアラゴルン王。ときには、腹をくくって、とにかく取りかからなければならないのです。

「なに? なぞなぞを?」とガンダルフは言った。「いや、違う! 独り言を言っていたのだ。年寄りの癖でな。そこにいる中でいちばん賢い者を選んで話しかけるのだ。若い者には、長い説明が要るが、それは骨が折れる。」

ミスランディアの、率直な、めずらしい一場面です。こんなせりふが言えて、しかも好感を持たれたままでいられるのは、彼だけでしょう。

わしは希望の言葉を語った。だが、あくまで希望だけだ。希望は、勝利ではない。

ふたたび灰色のガンダルフ。まったくそのとおりです。ただ、信じる者にとって、望んでいる勝利は、確実です。

「忠実な心は、ひねくれた舌を持つこともある。」

セオデン王が、完璧な人などいないことを、簡潔に思い出させてくれます。そして、最良の友は、本当に大事なときまで、いつも期待に応えてくれるとは限らない、ということも。

招かれざる客が、いちばんの話し相手になることも、よくある。

エオメル卿の洞察は、「招かれざる客」というものがまだ存在した、コロナ禍以前の世界への郷愁をかき立てます。彼の言うとおりかもしれません…ただし、10回に1回くらいでしょうか!

世界は変わる。かつて強かったものが、今は頼りないものとなる。

セオデンは、2021年のことを語っていたのかもしれません。

「ガンダルフの助言を、すべてが終わるまでは、お裁きなさいますな、王よ」とアラゴルンは言った。

これは、スコットランドの言い方で言えば、「愚か者と子どもに、仕上がる前のものを見せるな」です。とくに、ガンダルフの指示で進められていることならば、なおさらです。

「必要なときに、宝を投げ捨てられない者は、鎖につながれているのだ。」

アラゴルンは、私たちの人生にある「大切なもの」が、私たちの目をくらませながら、私たちを縛りつける、その本質を言い当てています。どうすれば私たちは、自分の宝を相対化できるでしょうか。私は、ただ一つの方法しか知りません。

魔法使いたるもの、ホビットの一人や二人は、世話をしているべきだ。その言葉の意味を教えてもらい、正してもらうために。

灰色のガンダルフから、すべての魔法使いへの最高の助言です。私の場合、それは子どもたちです。

やけどをした手が、いちばんよく教える。

ガンダルフらしい、最上級の鋭さです。本物かどうかを知るには、実際に体で感じるに限ります。

サムは、聞こえるほど大きなため息をついた。礼儀作法にではない。それには、ホビットならだれでもそうであるように、大いに賛成だった。実際、ホビット庄なら、こういうことにはもっとずっと多くの言葉とお辞儀が必要だっただろう。

ホビット庄が日出ずる国をモデルにしていたとは、誰が知っていたでしょうか。

「大きな物語は、終わらないのですか。」

「物語としては、終わらないよ」とフロドは言った。「でも、その中の人々は、自分の役目が終わると、来ては去っていく。わたしたちの役目も、いつかは、あるいは早々に、終わるだろう。」

まことに。かくて世の栄光は過ぎゆく、されど、ショーは続くのです。

「名前を自分のものにするな、スメアゴル」とフロドは言った。「それは賢いことではない。その名が本当であっても、偽りであってもだ。」

ゴラムでさえ、フロドさんから、助言のことばをもらっています。しかも、これは私自身の繊細な心にも、持ち帰りたい一言です。

「慌てた一撃は、よくそれる。」

もちろん、「急がば回れ」とも言いますが…アラゴルンの格言は、健全なバランスだと思います。

「ガンダルフ!」と彼は叫んだ。「ガンダルフだ! 物事が最も暗いときに、いつも現れてくれる。」

ピピンは、私たちが英雄を待つあいだの、すべての心の叫びを言葉にしています。ここで、劇的な音楽。そして、あふれる涙。

覚えておこう。裏切り者は、自分自身を裏切って、意図しない良いことをしてしまうこともある。

ガンダルフは、おそらく、悪の背後にある摂理的な目的を認めているのでしょう…

敵の策略は、敵の意に反して、私たちの役に立つことがよくある。

…そしてエオメルも、同じ意見のようです。

まず、自分が愛するのにふさわしいものを愛するのが、いちばんだと思う。どこかから始めなければならないし、根も必要だ。ホビット庄の土壌は深い。それでも、もっと深くて高いものがある。そして、どんな年寄りの庭師も、自分が平和と呼ぶものの中で庭の手入れをできるのは、それらがあるからなのだ。本人が知っていても、知らなくても。私は、それらを少しでも知っていることを、うれしく思う。

メリアドクは、高いものを知ることと、低いものにしっかりと根ざすことについて、ホビットらしい良識を語っています。そこには、アウグスティヌス的なものがあります。この一節については、まだ考えている途中です。

「人間が始めることには、いつもこうしたことがある。春に霜が降りたり、夏に病が出たりして、約束された実りを得ずに終わってしまう。」

ああ、グロイン之子ギムリよ、いつもそうなのです…


最後の、勝利の言葉は、ふさわしく、ビルボ・バギンズに託しましょう。

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